現在中国雑感



  驚異の変貌ぶり

 中国の発展ぶりは予想以上であった。

 来る前は改革開放路線にのって発展しつつあるとはいえ、上海、深センなどの経済特区の一部であり、

 多くの中国人は国営工場で働き人民服を身につけサービスの悪い商店で買い物していると思っていた

 が、それは情報の偏りによる先入観からくるもので、自分の目で確認することの重要性を改めて感じ

 る結果となった。

 私が回った北京以南では、人民服は見かけなかったし、店も宿もサービスもわるくない 物も豊富

 であるし、ビルや家などの建物は場所によっては、どちらが先進国かわからない程立派である。

 それは内陸奥地の地方都市にもいえるのである。

 ただし、最新の近代的ビルが次々に建てられ通り沿いに並んでいるかと思うと、その奥の路地に入れ

 ば毛沢東時代の古く痛んだ建物が共存し、そのコントラストが現在の急速な発展を続ける中国を象徴

 している。

 戦後20年頃に東京オリンピックを開催した頃の高度成長期の勢いのあった日本をいま中国が再現し

 ている感がある。

 このような躍進は鄧小平の改革開放路線から始まったわけであるが、結局は共産主義を自らが放棄し

 た時からであり真に皮肉である。鄧小平という男の評価できる所は、自由主義陣営の中で繁栄を謳歌

 する台湾、香港を横目で見れば誰でも気付くことであるが、共産党という原理教条主義の権化のよう

 な中のあって自らが反動分子と裁かれる事を恐れず、自らの人生を否定しかねないイデオロギ-への

 帰属をいとも簡単に横の追いやり、現実の政治路線転換を迷いなく実行にうつせたことである。

 この時のスムースな路線変更は、それだけ毛沢東の紅衛兵による文化大革命のもつイデオロギ-の拡

 張性の怖さと暴力性、そして荒廃しきった国土を現実に実感した結果の反動であり、このため鄧小平

 は党内に多くの支持者を得ることができたことも追い風に作用したのであろう。

 しかし、この中国の人件費の安さ、水準以上の労働力、政治の相対的安定性は勿論、なんといっても

 13億の人口を抱える将来性ある巨大市場は、巨大であるが故の混沌への波乱を内包しながらも、世

 界の投資家、資本家にとっては怪しげで、なまめかしく魅惑的でものにうつるのであろう。

 事実、華僑資本、香港資本から始まり台湾資本、アメリカ資本、日本資本、欧米資本と次々に、共産

 党は誘致宣伝の必要もなく勝手に先を争いバスに乗り遅れまいとする自由主義陣営の資本が中国に取

 り込まれたのである。そして、いまや世界の下請け工場の地位を確立しつつある。

 いまの中国は本当に資本主義の国家である。乞食はいるし客引きはどこにいっても存在する。町の看

 板も、外国資本のもので溢れ返っている。ひょっとすると日本以上の資本主義国家に変貌したのでは

 ないだろうか。

  日本以上の資本主義国家?

 というのは規制の面からであるが、日本よりは規制が少なく自由な企業活動ができるものと推測でき

 る。その根拠として中国の、中国人のもつ本来の国民性、体制移行期の法の不備、対する日本の官僚

 体制の病根とそれを助長する日本の国民性をあげておきたい。

 中国人は一言で言えば現実的であり形而上の世界など存在しない人たちなのである。 元々国も法も

 他人も信用していないし頼りにもしていない。生命と財産は自分で守るものとの意識が強く、その為

 独立志向で生命力も旺盛、現実への即応力、異なる環境への適応力は日本人の比ではない。

 中国は広大なる大陸故、多くの民族が存在しその分だけ覇権争いが存在し、その繰り返しは多くの流

 民を生み、見知らぬ土地での生活を強いられ又権力が変わるごとに全く異なる法や掟を強いられてき

 たのである。そのような歴史の中で身についた知恵というか習い性が今の中国人の国民性である。

 それだけ厳しい生活環境の中を生き抜いてきた人々である。その対極にあるのが日本であり日本人で

 あると思う。

 話はもどせば、規制については、要は中国人は結果的に個人主義者であり互いに細かな干渉はしない

 し国民もこれを嫌う点、もう一つは資本主義市場構築の為の法は整備中で仔細まで法規制が廻らない

 点、逆に日本は当初の国民の為の必然的規制から、官僚が官僚存続の為に、企業支配を強化する法を

 針の穴まで規制して企業の創造的活力をがんじがらめにしている点である。

 (ただし、法の未整備、法軽視の人治主義的伝統、現実主義(拝金主義)の中での共産党員の事業許

 可、認可時には、日本とは比較にならぬ賄賂や裏金が動くのではないだろうか?)

 以上、話は飛びぱなっしであるが、これも私の日本の官僚への鬱積不満が噴出したもので、早く本来

 の官僚、国家国民の為の行政施行機関に戻って欲しいからである。

  言論統制は中国共産党の根幹 メディアは譲らず

 次に社会体制で感じたことであるが、それは一党支配の共産党国家であるということである。

 宿泊先でたまにテレビを見るわけであるが、広告宣伝は自由主義国のものと全く変わらない。番組も

 映画などハリウッド映画から日本のアニメまで、体制や国を問わず流されている。

 (ただ、検閲によるフイルムのカットやセリフの入れ替えがあったかは不明)しかしニュ-ス番組と

 なると共産党のプロパガンダ機関となり、公正かつ不可欠の存在として共産党を賛美賞賛した構成で

 流されている。

 また党宣伝の為のドキュメント番組や歴史物も組まれている様で、私の見た番組は共産党設立の節目

 の年にもあたり、特別番組で毛沢東の国共合作の頃のドラマであったが、あくまで毛沢東は完全無欠

 の存在であり、かのソ連のスタ-リンも毛を助ける同胞として好意的に描かれていた。

 私から見れば、この二人は史上最大の殺戮者絶対数NO1,2でヒットラ-のホロ-コストも霞む大

 犯罪者なのだが、この国では英雄であり思想統制の恐ろしさをあらためて感じさせるものがあった。

 なんらオ-ム真理教の教団幹部と規模こそ違え、その体質はさして変わらないようである。

 かれら中国共産党は共産主義というイデオロギ-は捨てたが、その独裁政党としての権力という既得

 権益は決して放棄することはないのである。

 中国はWTOに加盟する、北京オリンピック開催が決定するなど中国の国際社会への参加が進むに連

 れて民主化が進むことは間違いない所であるが、あくまで中国共産党は日本の官僚機構同様の位置付

 けで存続を図り、民主化も、その権力独裁のもつ権益を失わない範囲であろう。

 この一党独裁の壁が破られる日は何時くるのか又平和的になしうるのか、実現に向けて加速されんこ

 とを祈りたい。

  中国には中国の事情あり【2002年3月15日より以下の文追加】

  これに関連して、この中国にどの程度の言論の自由があるかという面を注視してみてきたが、どうや

 ら個人レベルでの体制批判は許され黙認されている様である。しかし公の場での批判、即ち集会の自

 由等は許されてないといった所のレベルの様である。

 中国の交差点武漢から揚子江を船で下降した時のことであるが、その船上で、一人の女学生と親しく

 なった。この女性は技術系の大学生で日本では少なくなった素朴さを残した好感のもてる女性で、極

 初歩的な英会話と筆談とジェスチャ-を交え、雑談したのであるが、話題が政治に移った時、意図的

 に共産党の一党独裁を批判した所、彼女から「共産主義について学習し直しなさい」と言われてしま

 ったのである。

 彼女は素直に学校で教わったことを受け入れてきたのであろう。なおも言論統制の弊害に絞り説得し

 ようとした所、隣でずっとやり取りをみていた青年から「中国には中国の事情がある。これ以上の批

 判は止めた方が良い」との忠告?があった。私には忠告と感じられたのであるが・・

 考えて見れば私の意見を受け入れた所で政治活動するわけでもなし反体制とレッテルが貼られるだけ

 で処世上彼女の人生にとって何の益にもならない。そう思うと気恥ずかしくなり話は中断した。

 その後もこの青年を交え親しくしてもらい、そして別れたのであるが、思うに皆よき人達であった。

、この「中国には中国の事情がある」という言葉、中国共産党がことある毎に使う便法であるが、現在

 の中国の立場を象徴する言葉としてここで少し触れて見たい。

 20世紀の近代において、資本主義体制と共産主義体制は相入れない相対立する政治経済体制として

 世界を二部、その対立のかげで数限りない人命が失われてきた歴史があるわけであるが、この中国に

 おいて、鄧小平の改革開放路線以降のこの水と油の相反目する二つの体制を見事に共存させたのであ

 る。ここにも中国人の現実性、無原則性、融通性が、香港の一国ニ制度にも見られる通り、実現を可

 能にしたのであろう。原則を重んじる西洋人には信じられないことである。

 この矛盾と体制移入による様々な起こるべく問題をどのように中国共産党は対応しようとしたのか?

 改革開放路線になってから、外国資本が導入されるのと平行していやおうなく西洋民主主義も入って

 来るわけであるが、これに伴う非民主的側面への批判、人権、言論統制、チベット弾圧、一党独裁等

 どれもその対象となり大きな政治批判、体制崩壊に引き金になりかねないものばかりである。

 これに対し中国共産党は

 「人民主権の共産主義の理念は絶対であり、到達すべき理想社会であるが、到達するには発展段階が

 存在し、発展段階毎に政策は異なるのは当然である。今現在はまだ国民は貧しくまずは経済的に豊か

 にならねばならない段階である。この為、手段として資本主義の経済体制を導入するものである。

 これを支えるのは長期に安定した強力な政権が必要で、混迷した状況のもとでは前に進まない。政治

 には共産党の絶対的指導が不可欠であり、彼ら(西欧)がいう人権、言論統制批判などは発展を阻害

 する因子であり、発展過程を理解し得ない、又中国の実情を知らないものの批判であり断固排除しな

 ければならない。」

 とし、資本主義の経済体制をめざす理想の共産社会実現の為の手段、下位概念として矛盾のつじつま

 を合せて、この便法をもって国民に説明してきた様である。

 そして其の後に必ず「にも拘わらず、我国への内政批判は国家の主権を侵す明らかな内政干渉である

 。」とつなげ、他国の民主化批判を封殺するのである。

 振り返って日本の政治の現状を対比すれば、民主主義の名のもとお互いがお互いの揚げ足を引っ張り

 あい、無責任な言動でお互いいいたい放題の中傷で、遅々として進まぬ改革、衆遇政治もここに極ま

 れりの感があり、逆に彼らが便法が説得力をもちうる面、真に残念なことである。

 私は共産主義の理想自体を否定するつもりはないが、その教義が唯一の絶対論として現実の諸条件、

 及び各個人の意志意欲を無視し具体策にまで及んでくることが恐ろしく問題なのであり、机上の空論

 がすべての現実、生産性から自己認識までを破壊し結果的に物質、精神面ともに貧相で貧乏な平等社

 会としてしまう点、と。もう一つ、新たな統治するもの、されるものと言う階級社会が生まれる可能

 性が極めて高い点、それらから否定するのである。

 言い換えれば教条主義のもつ言霊の一人歩きの怖さ、そこに流れる狭量性、閉塞性、ヒステり-性を

 危惧するのである。

 現在中国は史上かつてない繁栄の中のあり、この安定した成長を維持、持続したい所で、成長が維持

 される限り一般庶民においては少々の言論の不自由さには目をつぶって行くものと思われるが、知識

 層の間には相当の鬱積があるとのことである。人間は腹が満たされ、安全が保障されるとより自由を

 求めるようになるものであり、中国だけが例外的に今のままで進展するとは思えない点に期待したい

 所である。

  中国の教育 日本の戦前教育に源あり?

 続いて教育関係で感じたこと、これはひょっとしたら意外にも中国が明治以降、日本がとった教育勅

 語から始まる教育政策が範となっているのではないかと、いうことである。と感ずる点で以下述べて

 みたい。少なくともイデオロギ-色の薄まった毛体制以降は・・・

 中国の名所旧跡を尋ねてみると、その観光の中心地からちょっとはずれた所によく、愛国主義基地と

 ペンキなどで書かれた建物を見かけることができる。これは自らの国の文化遺産や伝統に直に触れる

 事により先人の叡智や工夫、そして歴史を学び、自然発生的に自国への誇りや愛国心を醸成しようと

 するもので青少年育成の為の出先教育機関なのである。

 ところで日本国の消滅を指向する朝日新聞であるが、彼らが思想からすれば愛国心の育成は軍国主義

 の芽を生みかねない危険な政策であり、直ちに中国に対し反省、せめて其の懸念を打診するかと思い

 きや、事実報道すらしないのである。どうも日本人だけが好戦的遺伝子をもっており愛国心が許され

 ないようである。

 これらはテレビ等の中国人の子供達へのアンケ-ト調査などで簡単に確認できる。将来の希望を聞く

 と、医者とか技術者とか動機に国や郷土、社会、人の為といった公の存在し、そこには誇らしげで意

 志のある表情を垣間見ることができる。ひと昔前や、戦前の日本には見られた子供たちの反応である。

 そこには病んだ日本に見られる親にすら子供の人権を振り回す奇をてらった子供の発言は存在しない。

 いま中国で戦前の日本の道徳教育が行われ、逆に日本で純粋な共産主義教育が行われているのはない

 かとつい錯覚してしまうのである。

  

 次に、中国の街を歩きながら視線を上げ注意深く広告塔や甲板等にみていると、壁の横断幕等に何と

 「強国富民」と書かれたスロ-ガンが目に入ってくることがある。これは日本が明治以降、西洋列強

 の毒牙から身を守るべく急速な近代化を指向した時のスロ-ガン「富国強兵」とさして変わらないの

 である。

 彼らは日本の戦前の中国支配を逆手にプレッシャ-をかける一方で、日本の戦後の惨憺たる廃墟の中

 から、資源もなにもない小国が世界第二位の経済大国をのし上がった事実を冷静に客観的によく研究

 し評価しているのはないか?その原因を戦後の民主教育ではなくその戦前の精神性とその教育に求め

 自国の教育体系に盛り込んだのではないかを思われる節を私は感じるのである。

 最も愛国心にしても国家目標としてのスロ-ガンにしても、どこの国にも存在し、ごく当たり前の政

 策であり、日本だけが日本型左翼に精神をスポイルされ世界の常識からかけ離れた世界をさ迷ってい

 るのでないか!?

 反日教育は中国共産党の国策 

 私は中国の愛国心の育成、強国富民というスロ-ガン共に支持するものであるが、許せないのは韓国

 同様徹底した反日教育を国策として何の躊躇なく子供たちに教え込み反日人間を量産している事であ

 る。

 なぜ各も徹底して反日を全面に押し出すのか?!

 それは共産党の存在意義、党としてのアイデンティティを喪失し、そしてその存在意義を何らかのシ

 ンボリックな形で表す必要性に迫られ、その対象としてもちあがったのが、時代をさかのぼらせ国家

 建設の祖としての位置付けでその存在意義を国民にアピ-ルすることしかなくなった為なのである。

 国家建設の祖としての演出には抗日戦線で共産党の活躍が必須であり、その為には日本は残虐非道の

 悪役になければならないのであり、これに勝利する共産党は英雄であり永遠にあがめられる存在とし

 て党の基盤の強化することに繋がるからである。

 それは逆にいうと、裏返せば、共産党の暗黒の歴史の証左に他ならないのである。 

 中華人民共和国成立後の毛沢東時代の相次ぐ失政そして、革命時の地主、資産階級の殺戮、大躍進時

 の農政の失敗による飢饉と大量餓死者の排出、文化大革命時の紅衛兵による反動分子の抹殺粛清合せ

 れば、億の届かんとする中国人同胞への殺戮、弾圧、粛清、そして文化大革命後の実質上の共産主義

 経済体制の崩壊、結局の所、内容がどうであれ建国の事実しかなくなった為なのである。

 この中国共産党の自らの権威づけによる党の存命と安定の為には、彼らが専売特許である洗脳工作が

 ここぞとばかり駆使されるのである。データ捏造、改竄、でっち上げ、偽証、歪曲 当等目的達成の

 為には手段を選ばぬ冷徹かつ現実的対応には、日本人の発想を超えるものが存在するのである。

 その代表例が南京大虐殺であり、次々の上がる反証に、南京大虐殺を疑うのはナチスのホロ-コスト

 を疑うようなもの、など詳細の調査検証を拒否する姿勢は冤罪を認めたようなものである。今後とも

 徹底的に調査、当時南京に従軍した日本兵の名誉を回復、偽装工作に対する謝罪を引き出してもらい

 たい。それにしても、日本政府の弱腰と卑屈さは何か裏があるのではないかと思う程異常である、現

 場調査やデ-タの再解析など真実ならいくらでも応じさせる位の外交責任は日本人として果たして貰

 いたいものである。

 そういう意味でも早く中国が普通の民主主義国家に早くなって欲しいものである。一党独裁の最大の

 問題は自分らに都合の悪い情報はすべて隠蔽されることである。

 (南京大虐殺の資料については多くの資料あり、左翼側の本ばかりでなく複数読み比べられたし。)

 話を教育に戻し、中国の歴史教科書について付記しておきたい。近代史の記述では、この幻の南京大

 虐殺や化学兵器人体実験など日本軍の蛮行にはたとえ少人数であろうと多くの紙面を割き強調されて

 いるが、共産党が中国人同胞に与えた億に達しようとする犠牲者などには殆ど触れられていないので

 ある。そのアンバランスには空いた口がふさがらないのである。驚くべき中国の良心である。

 朝日新聞流に論評すれば、史実を包み隠さず表に出し、みずからの民に課した数々の蛮行と殺戮が二

 度とこの中国でおきない様に子供たちに繰り返し伝え、受け継ぎ風化させないようにして行かねばな

 らない。それが中国人が果たす人類の義務なのである。となるのであるが・・

 多分、朝日新聞のことだから、そのように中国に抗議してくれると思うのですが?朝日さんに聞いて 

 みようっと!!

 まあ・・これが国際社会であり、これらの情報戦は平和時にこそ日常の中に溢れ返っており、知らぬ

 間に彼らが意図する精神状態に改造されていくのであるが、日本人の多くは殆ど無警戒であり非常に

 危惧する所である。

 とにかく、中国いや中国共産党には歴史は存在しない。特に近代史は存在しないのである。存在する

 のは歴史と称する政治教育、いや政治工作だけであることを我々はよく心に留めておいて欲しいと思

 っています。

 なお、今回の旅行で多くの中国人に接したが、あくまで商売上または表面上の接触であるが、総じて

 親切で飾り気のないごく自然な人間同士の触れ合いで終始し旅行を終えたように感じている。私は鈍

 いせいかもしれないが反日教育からくる敵意ある視線は殆ど感じられなかった。

 この中国一般庶民の冷静で穏やかな日本人への対応は、国内で文化大革命などの多くの悲惨さを見て

 きた経験から多くの犯罪行為は人種差からくる蛮行の要素より、人間の業が生み出す様々の状況下で

 の最悪の対応という大人の意識が無意識下で働いている為かと思っているのだが・・

 だから、反日教育している教育現場で人生経験の少ない生徒と接していたならば、状況は一変して、

 それこそ異様な雰囲気に飲まれた生徒達は紅衛兵もどきに変身し、私など東洋鬼として槍玉になり吊

 るし上げられていたのかもしれないのである。

  日中友好の水さす反日教育

 以上読み進むにつれ突出した見解もあり、硬く重くなってしまったが、本質的に一本義で真面目な性

 格ゆえお許し頂きたい。

 今回の旅を終え、多くの中国人に親切に接して頂いたことに感謝しているし、機会を伺い是非再訪問

 したいと思っている。

  私から見た中国は、水墨画、漢詩の世界や三国志、孫悟空の歴史ロマンの世界から始まり、広大なる

 大陸がもつ多様な自然、民族が存在、そして悠久の歴史の中、多様な異文化が交流調和し、その中か

 らうまれる文化遺産や伝統工芸品などは飽きることない興味を有しており、これらを形成しこれらに

 より形成された中国人の性格や考え方、思想は茫洋とした拡がりがあるはずであり、前に触れた中国

 人の最大公約数的民族性からはずれた人々も限りなく存在し、その関心は尽きないものを感じている。

 私は中国人に対し、どんなにできが悪かろうがよかろうが自分の子であれば愛情を注ぐ親のように、

 限りない親近感をもっているのであるが、のどに刺さった魚の骨のごとく、その気持を大きく萎えさ

 せ落胆させる行為が残念ながら存在するのである。

 それはやはり、前に触れた反日教育である!!

  中国共産党は日本とのイベント、セレモニ-がある毎に日中友好を口にする。口にする一方で学校で

 は尋常でない反日教育が行われ日本への敵意と憎悪を生徒達に炊きつけている。

 敵意と憎悪を植え付けられて育った中国人から真に日本人との友好関係を構築しようとするだろうか。

 できるとすれば日本の贖罪意識による中国への服従、隷属という関係でしかなく、表面上取り繕われ

 た関係のみである。

 最低限、教科書への嘘とデッチアゲと誇張による創作記述及び日本への露骨であからさまな敵意に満

 ちた表現、テ-マ選定は即刻中止することが、中国が真に日本のと友好関係を築こうとしている証か

 と思うのであるが・・・この点中国共産党政府はどのように考えているのであろうか?

 このような教育はお互いを引き離すだけで発展的関係は望めないし、その結果、もたらすものはマイ

 ナスでしかないことは明白なはずである。

 日本政府及び外務省はこの反日教育を見過ごし日中友好を声高に叫んでいるが、この点にメスを入れ

 ないで、真の日中友好は生まれないはずであり、知っていながら放置するとすれば、それは日本人先

 祖に対する背信行為で長期的戦略的国益の放棄である。

 とにかく、反日教育だけは即刻やめるべきである。もう一度いう。反日教育は中国の尊厳と品位を著

 しく欠く行為である。

  中国の印象をチョットだけ

 さらにシリアスな内容となっててしまったが、それ以上のなにものでもない。  

 最後に、二、三の中国の印象に触れて終わりたいと思います。旅の情報になるかもしれませんので。

 一番感心したことは汽車旅の寝台車においては必ず各車両ごとに湯沸し器があり、いつでもお湯を使

 うことができることで、これは実にありがたかった。インスタント食品が発達した現在においては、

 なおさらである、おかげで列車の中でも常時暖かいものを口にすることができた。

 それにしても特記すべきはインスタントラ-メンが大活躍していることである。殆どの客が1日に1

 食以上食べている様である。以前、世界で一番食べられている食べ物は何かと聞かれた時、世界中に

 満遍なく存在するのはハンバ-ガと思っていたが、実はインスタントラ-メンだったのである。

 中国を筆頭に東アジアの圧倒的人口過密地帯で愛されているのを見ると至極納得したものである。中

 国のインスタントラ-メンだが皆、サイズが二回り程大きく味は一般に辛しが効いている。どちらが

 うまいかは好みにより何ともいえない。

 また中国人はお茶はウ-ロン茶ではなく一般的に緑茶が最も飲まれているようで意外であった。

 逆にすぐにでも改めて欲しい所は、どこの場所であってもタンや唾を平気で吐く人がいる事である。

 確かに内陸北部は乾燥しており埃っぽい所があるが、当たりかまわず吐くことは国際マナ-としては

 中国人の評価を著しく欠くのではないか。

 あと衛生面の無頓着さ、商売の食べ物に蝿がとまっても殆ど気にとめない人が多いのである。中国人

 は衛生とは火を通すこととの認識が強いようで、それはそれで結構であるが、火を通した後の食べ物

 に蝿がとまっている訳であるから、少しは神経を使って欲しいところである。ところで中国が先進国

 に近づいたかどうかは蝿の数の有無が良い目安であると思うのだが・・

 もうひとつ、特記すれば、観光地を廻ってきて感じたこと、それは全般的に街並が日本より統一され

 ていて美しいと思える点である。

 これは公の権利を優先、個人の権利を制限している為で都市整備や地域改造などが遂行しやすいため

 と思うが、これは共産党の強権治政がプラスに作用しているからであり逆に日本の場合、個人の権利

 の過度の尊重が計画を頓挫させたり遅らせたりしてしまう為だろう。

 多分、街並の統一性では日本が世界で最もお粗末ではがないかと考える。

 日本よりはるかに個人の権利を主張する欧州の街並は、その主張とは裏腹に町全体で統一と調和が図

 られている。これは個人の権利の主張が強烈な分だけ、逆に公が明確に意識され個人の中に存在する

 為であろう。そして公の権利は個人の権利の集大成との意識もあるのではないか。

 日本人よ、世界の観光地ならずとも観光で生きようとするなら、この点街全体の演出は不可欠であり

 集客力の重要なファクタ-であることをよく認識されたい。

   

 他にも、とりとめない話であればキリがないが、男として一言、中国の女性、中国人は総じて身長が

 高いのであるが、スラリとした美人も多く一般的に気が強く働き者が多いような気にしました?

 しかし何てたって中国は広いので何ともいえません。 



 それでは最後まで、よく読んでくれてありがとう。

  

  多謝! 再見! 日中友好万歳!



                         2002年 3月15日



                                    人道公平



 以上 

   

                                    のちにつづく

 

     
  1. ホ-ム
  2.  
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